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いわゆる軍事クーデターの失敗となった事件と考えています。
よく、「陸軍」の「青年将校」が首謀者、と、言われていますが、実際のところは、実行した「青年将校」だけでなく、その動きに便乗したり、そそのかしたり、呼応しようとした陸軍上層部や海軍側の動きもありました。

この事件が失敗となったのは、若き昭和天皇が、きちんと判断したから、です。当時、統帥権を持つ天皇がその存在価値をしっかりと示した、と、思っています。

ちょうど、ミャンマーでも、軍事クーデターが起きていますが、民主主義国家において、実力組織である軍隊の民主的コントロール、は、とても重要な政治案件である、と、思います。


NHKのニュースサイトから


「二・二六事件」から85年 将校遺族らが慰霊の法要 東京

戦前、陸軍の青年将校らがクーデターを企て政府要人らを殺害した「二・二六事件」から26日で85年となり、将校の遺族らが慰霊の法要を行いました。

26日、青年将校らの墓がある東京・港区の寺で、将校の遺族でつくる「仏心会」が慰霊の法要を行いました。
毎年、遺族ら関係者30人ほどが集まりますが、ことしは新型コロナウイルスの影響で規模を縮小し6人で祈りをささげました。
85年前の昭和11年2月26日に起きた二・二六事件では、陸軍の青年将校らが天皇中心の国家を確立するとしてクーデターを企て、一時、首都・東京の中枢を占拠し政府要人ら9人を殺害しました。
事件は近代日本最大の軍事クーデターと言われ、その後軍部の力が拡大し戦争へと突き進む昭和史の大きな転換点になったとされています。
仏心会の代表理事で、事件後に死刑となった香田清貞大尉のおいの忠維さん(76)は「二・二六事件が忘れられないよう犠牲者と事件関係者の慰霊を続けたい」と話していました。
また禁錮刑となった今泉義道少尉の次男の章利さん(71)は「事件は、暴力を使わないで物事を解決するという教訓を私たちに投げかけていると思う」と話していました。
法要のあと遺族たちは将校らの墓を訪れ、線香を手向け手を合わせていました。