f7be1cde.png突然の休刊、びっくりしました。
そして、これは、大変な遺恨、悪い前例になる、と、心配しています。

休刊という方法が、雑誌を発行している人たちにとって、もっとも重い意味がある、ということはわかります。

しかし、これでは、なにが問題であったのか、なぜ、あんな文章を世に発行しなければならなかったのか、そのときの判断の理由や目的を、きちんと説明する責任を放棄している、と、私には思います。

反論するなり、釈明するなり、お詫びするなり、なんらかの方法で、自分たちの考えをきちんと社会に伝えなければならない、その責任が、発行元にはある、と、私は思います。

そして、この騒動の大元となった、自民党の杉田水脈議員の論文について、本人からの説明も一切ありませんし、釈然としないまま、幕引きとはならないからです。
新潮社は、この杉田氏のLGBTに対する偏見に満ちた論文について、お詫びしているのではないようですし。

この雑誌の編集部と、保守系論壇の人たちやその背景にある組織との関係について、きちんと説明してもらう必要がある、と、思います。

もしかしたら、私たちは、言論の自由のため、そして、人々がいきいきと自分らしく暮らしていける社会を構築するため、この編集長や新潮社とその社長や経営陣を、不当な要求を求める勢力から、守ってあげなければならないのかもしれません。

彼らは、実は、私たちの敵ではなく、つけ込まれて失敗した程度であり、本当の敵は別に存在しているのかもしれません。

私たちは、いま、とても大切なものを失いつつあるのかもしれません。