沖縄県の方がたが、いろんな思いをもって、日々暮らしていること、も、よくわかっておきたい、と、私もあらためて思います。
そう考えると、やはり、翁長知事が立派な政治家であったことは間違いない、と、思います。
沖縄の米軍基地の問題は、実は、日本政府には当事者能力がない、かもしれない、とさえ、思います。
沖縄の人々が、直接、アメリカ軍やアメリカ政府と話し合うしか、解決策がない、のでは。
だとすれば、沖縄から米軍基地を撤去することの見返り、は、沖縄の人々にはなにもない?
ないわけではないが、なかなか、それは、厳しい。
やはり、日本政府が、沖縄の人々の気持ちをくんで、アメリカ政府やアメリカ軍としっかりと交渉すべき、と、思います。日本政府には、見返りの交渉カードは何枚かあるはず。
沖縄タイムスから
遺影は穏やかな笑顔… 翁長知事の急逝惜しむ 沖縄で通夜、1500人参列
沖縄の基地負担軽減を訴え続け、8日に67歳で亡くなった翁長雄志知事の通夜が10日夜、那覇市の大典寺で営まれた。親族のほか、友人や国会議員、県議、県幹部ら約1500人が別れを惜しんだ。告別式は13日午後3時から同4時半、大典寺で執り行う。
遺影には今年の元旦に孫2人を膝にのせた写真が選ばれた。イメージカラーの鮮やかな緑のネクタイを締めている。名護市辺野古の新基地建設に反対を貫き、難しい顔をすることの多かった知事が、仕事から離れ、穏やかな笑顔を浮かべた貴重な1枚という。
稲嶺恵一元知事(84)は2カ月前から病状が思わしくなかったことと聞き、「病院に駆けつけた時、本当に安らかな顔だった。2カ月前から覚悟し、できることは全部やったんだという気持ちではないか」と沈痛な面持ちで語った。
2年間秘書を務めた県職員の中山貴史さん(40)は車の中や飛行機の待ち時間で翁長知事の言葉を聞いた。米軍関係の事件・事故が相次いでも「沖縄の発展に足かせになるなら取り除かなければならない」と疲れを見せない一方、「僕の仕事を基地だけと思っているでしょう」と言いながら、子どもの貧困問題などに懸命に取り組んでいた姿が忘れられないと語った。
そう考えると、やはり、翁長知事が立派な政治家であったことは間違いない、と、思います。
沖縄の米軍基地の問題は、実は、日本政府には当事者能力がない、かもしれない、とさえ、思います。
沖縄の人々が、直接、アメリカ軍やアメリカ政府と話し合うしか、解決策がない、のでは。
だとすれば、沖縄から米軍基地を撤去することの見返り、は、沖縄の人々にはなにもない?
ないわけではないが、なかなか、それは、厳しい。
やはり、日本政府が、沖縄の人々の気持ちをくんで、アメリカ政府やアメリカ軍としっかりと交渉すべき、と、思います。日本政府には、見返りの交渉カードは何枚かあるはず。
沖縄タイムスから
遺影は穏やかな笑顔… 翁長知事の急逝惜しむ 沖縄で通夜、1500人参列
沖縄の基地負担軽減を訴え続け、8日に67歳で亡くなった翁長雄志知事の通夜が10日夜、那覇市の大典寺で営まれた。親族のほか、友人や国会議員、県議、県幹部ら約1500人が別れを惜しんだ。告別式は13日午後3時から同4時半、大典寺で執り行う。
遺影には今年の元旦に孫2人を膝にのせた写真が選ばれた。イメージカラーの鮮やかな緑のネクタイを締めている。名護市辺野古の新基地建設に反対を貫き、難しい顔をすることの多かった知事が、仕事から離れ、穏やかな笑顔を浮かべた貴重な1枚という。
稲嶺恵一元知事(84)は2カ月前から病状が思わしくなかったことと聞き、「病院に駆けつけた時、本当に安らかな顔だった。2カ月前から覚悟し、できることは全部やったんだという気持ちではないか」と沈痛な面持ちで語った。
2年間秘書を務めた県職員の中山貴史さん(40)は車の中や飛行機の待ち時間で翁長知事の言葉を聞いた。米軍関係の事件・事故が相次いでも「沖縄の発展に足かせになるなら取り除かなければならない」と疲れを見せない一方、「僕の仕事を基地だけと思っているでしょう」と言いながら、子どもの貧困問題などに懸命に取り組んでいた姿が忘れられないと語った。
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