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お亡くなりになった12日は、92歳の誕生日だったそうです。

あの、アメリカ米兵3人による女子小学生への暴行事件は、大変な驚愕をもって、沖縄だけでなく、日本も、また、アメリカでも受け止められました。

あのときの沖縄県知事。

大変なことだったろう、と、思います。
政治家は、危機にあたり、リーダーとして、その人格や能力がみえてくる、と思います。

また、そのときのカウンターパートナーの橋本総理大臣も、大変、立派な人格を備えた政治家でした。
もう少し、がんばっていただけたら、戦後最良の宰相と呼ばれることになっただろう、と、残念に思っています。

ご冥福をお祈りいたします。
と同時に、沖縄問題が解決に進むことを強く願っています。


NHKのニュースサイトから

沖縄県の大田元知事が死去 基地の整理縮小などに取り組む

沖縄県知事を2期8年務め、在任中の平成7年に起きたアメリカ軍兵士による少女暴行事件への対応やその後の基地の整理縮小に取り組んだ大田昌秀元知事が、12日、那覇市内の病院で亡くなりました。92歳でした。

大田元知事は、沖縄県の久米島出身で、終戦間際、沖縄師範学校の学生だったときに沖縄戦に動員され、同級生などを亡くしました。
そして、琉球大学の教授として沖縄戦の研究にあたったあと、平成2年の県知事選挙で初当選し、2期8年にわたって知事を務めました。
在任中の平成7年には、当時小学6年生だった女の子がアメリカ軍の兵士3人に暴行された事件などを受けて基地の削減を訴え、日米両政府は、普天間基地を含む県内11の基地や施設を整理縮小することで合意しました。
また、軍用地の強制使用をめぐって代理署名を拒否し、国から訴えられた裁判は最高裁まで争いましたが平成8年に敗訴が確定しました。
このほか、糸満市に、戦没者の名前が刻まれた「平和の礎」を創設したほか、知事を退任したあとも民間の研究所を立ち上げるなどして平和を訴え続けました。
関係者によりますと、去年の末から体調を崩して入退院を繰り返していましたが、12日正午前、那覇市内の病院で肺炎と呼吸不全のため亡くなったということです。大田元知事は12日が誕生日で92歳でした。

翁長知事「沖縄背負い、大きな足跡残した」
沖縄県の翁長知事は12日夜7時すぎ、亡くなった大田元知事が安置されている浦添市内の斎場を訪れました。翁長知事は弔問のため10分ほど滞在したあと、記者団に対し「本当に安らかなきれいな顔で眠っていたが、いろいろ、話をさせていただいてお顔にも触らせていただいた。まさしく沖縄を背負ってきて、大きな足跡を残して亡くなった偉大な政治家・学者であり、心から敬意を表したい」と述べました。

仲井真前知事「強い個性と実力」
大田県政のもとで副知事を務めた仲井真弘多前知事は、NHKの取材に対し、「沖縄戦を経験されて、非常に強い思いを持って二度と戦争を起こさないようにと取り組んでおられた。沖縄の基地問題をどう改善し解決していくかについての信念が強かった。
大田さんの言葉の中で、『オール・オア・ナッシングでは、行政の責任を預かる者としていかがなものか。必ず、成果をきちっと生み出すことは当然だ』と言っていたことが印象に残っている。県知事としても、ウチナーンチュとしても、保守・革新問わず沖縄を代表する『強い個性』と『実力』と『考え』を持った最後の人ではないか」と話していました。

稲嶺元知事「沖縄をとても愛している方」
大田氏の後任として平成10年から沖縄県知事を2期8年務めた稲嶺恵一さん(83)は「平和に対する志向が強く、沖縄をとても愛している方という印象が強く残っています。強力なリーダーシップがあり、人間として尊敬する方でした。心からご冥福をお祈りしたいと思います」と話していました。また、大田氏が創設した「平和の礎」について、「敵味方、民間人、軍人、それに韓国の方も含め、戦争被害に遭った方すべてを平等に扱って刻銘するという世界に類を見ない発想で、世界中から高く評価された」と述べ、みずから沖縄戦を体験し、平和の実現を強く望んだ大田氏の実績を振り返りました。さらに、県知事として基地問題に取り組んだ大田氏について「できるだけ政府と接点を見つけながらよりよい選択は何かを常に模索されていました。結果的には、政府とすれ違いが出て、目指した方向にならなかったことは大田さんにとって残念だったと思います」と述べました。そのうえでアメリカ軍普天間基地の移設計画など沖縄の基地問題をめぐって、沖縄県と国の対立が深まっている状況について、稲嶺さんは「基地問題はあまりにも問題が大きすぎて複雑な状況だ。大田さんにとって、こうした点は思い残す点ではないかと思います」と話していました。

古堅元衆院議員「平和の実現のために努力を惜しまなかった」
戦前の沖縄師範学校の後輩で、大田氏とともに鉄血勤皇隊として沖縄戦に動員された、元衆議院議員の古堅実吉さん(87)は「毎年、師範学校の慰霊祭でお会いしていて、ことしも会えると思っていたのでショックを受けています。沖縄戦の証言集を出すため手記を寄せるよう頼まれるなど個人的にもお付き合いさせて頂きました。地獄さながらの沖縄戦をくぐり抜けた人だからこそ、沖縄戦の著書を出したり平和の礎を創設したりと、平和の実現のために努力を惜しまなかったと思います。今はただ、ご冥福を祈るしかありません」と話していました。

菅官房長官「基地問題や沖縄振興に精力的に取り組まれた」
菅官房長官は午後の記者会見で、「沖縄戦を経験され、沖縄県知事や参議院議員などを歴任され、平成8年にはSACO・日米特別行動委員会の最終報告を取りまとめられるなど、激動の時代に沖縄の基地問題や振興策に精力的に取り組んでこられた方だと承知している。心からご冥福をお祈り申し上げる」と述べました。
また、菅官房長官は、「政府としては、SACOの最終報告をしっかりと前に進める中で、普天間飛行場の危険を除去し固定化は絶対に避けるという強い思いの中で、懸命に取り組んでいる」と述べました。

社民党の又市幹事長「痛切の念に堪えない」
沖縄県の大田元知事が参議院議員として所属していた社民党の又市幹事長は、「突然の訃報に接しただただ驚いている。安倍政権が沖縄県民の民意を踏みにじり、『辺野古新基地建設』を強行しようとする中で、大田さんの思いはいかばかりであったかと痛切の念に堪えない。心からご冥福をお祈り申し上げる」というコメントを発表しました。