Unknown小池氏がもともとアナウンサーだったという経歴から、その政治手腕について疑問を持つ人もいますが、小池都知事は、かなりの政治家である、ということがよくわかります。

次第にいろいろとわかってきました。

平成23年(2011年)8月の会議。

石原氏が4期目の都知事になった年が平成23年4月です。
官僚たち、都知事が変わることも想定の中に入れて、ずるずると時間稼ぎをしながら、いろいろ対応を考えていたのでしょうが、さらに4年間、石原都政が続くことがわかり、盛り土を行わないことを組織として正式に決定する手続きをした、ということでしょうか。

つまり、石原氏が、豊洲新市場の地下構造について、専門家会議のいうことなど無視してよい、と、指示していた、ということだろうと思われます。

興味深いのは、石原氏のあと、猪瀬氏、舛添氏に交代しても、今回のことが明るみに出なかった、ということです。
隠していた主体は何で、それを結果的に手助けしたのは何か、ということに興味があります。

豊洲新市場の問題ですが、石原氏に責任がある、ということになるのでしょうが、しかし、最終的に付け回しされるのは、そういう人をずっと都知事に選んでいた都民、ということになります。
でも、それを手助けしていたのは、マスコミ、ジャーナリズムと、広告代理店、ですね。

裸の王様をみて、王様は裸だ、という勇気があったなら。


NHKのニュースサイトから

盛り土行わずの方針 平成23年の部課長級会議で決定

豊洲市場をめぐる問題で、東京都の小池知事の指示を受けて都が内部調査をやり直した結果、盛り土を行わない方針は、平成23年8月の部課長級の会議で決定されたとして、会議を開いた当時の部長の責任は免れないとする報告書の骨子をまとめたことがわかりました。

豊洲市場のをめぐる問題では、東京都が先月、盛り土を行わない方針をいつ誰が決定したか特定できなかったとする内部調査の結果を公表しましたが、その後、報告書の一部に誤りがあったことなどから、小池知事が調査のやり直しを指示していました。
都が関係者の聞き取りや書類の分析を改めて進めた結果、盛り土を行わない方針は、平成23年8月の部課長級の会議で決定されたとする報告書の骨子をまとめたことがわかりました。
先の報告書では、この会議は地下に空間を設ける方針を確認した、意思決定の重要な段階だと位置づけられていて、今回、会議の出席者に改めて話を聞いたところ、部長を除く出席者の多くが、方針を認めれば地下に盛り土がなくなることを認識していたことが新たにわかったということです。
内部調査に対し、会議を開いた部長はこうした認識はなかったと話しているものの、部内で重ねられた議論など会議までのいきさつを踏まえれば、方針の意味を知りうる立場にあり、責任は免れないとしています。
東京都はこれらの調査結果を報告書にまとめ、来月1日に公表する予定です。

最大の焦点だった決定時期 ついに特定
先月30日に公表された都の内部調査の報告書は、最大の焦点だった「盛り土を行わない方針をいつ誰が決定したのか」という問いに対し、直接的に答える内容にはなりませんでした。
この報告書では、建物の地下に盛り土をせず、空洞を設けることになった経緯について、平成20年から25年にかけて、合わせて5つの段階に分けて説明しています。
この5段階の中で、地下空間の必要性について初めて話し合われた会議や、公式文書に地下空間が明記された時期など、その時々の出来事が示されていますが、結局、どの段階で盛り土をしないと決めたかについては記されていません。
小池知事も「それぞれの段階で、なにか、流れの中で空気の中で進んでいった」と表現し、批判しました。いわば、「いつの間にか盛り土をしないことになった」とも言える報告でした。

これに対し、今回新たにまとめる報告書では、盛り土をしない方針を決めた時を、平成23年8月の部課長級の会議だったと「特定」しました。
「地下に空間を設ける方針」を確認したこの会議については、前回の報告書にも記載されていますが、「その結果、盛り土はどうなるのか」という議論はされていなかったとしていました。
今回は、関係者への聞き取りや書類の分析によって、「地下に空間を設ける結果、盛り土はしないことになる」ことを、会議の出席者の多くが認識していたと調査で突き止めたのです。
そして、盛り土をしない方針を決定した責任が、この会議を開いた部長にあると明確に示しました。こうして、「盛り土を行わない方針をいつ誰が決定したのか」という問いに答える形となり、前回に比べ、より踏みこんだ内容となっています。
一方で、方針を決定する過程で、「誰が考えだし、提案したのか」などについては明らかになっておらず、この問題をめぐっては、今後も都議会などの場で追及が続く見通しです。