中曽根氏が自民党総裁選挙に立候補して、自民党員による選挙が行われたことを覚えています。
1978年の総裁選挙だったのでしょうか。
自民党員だった祖父の家に住んでいましたので、祖父が投票用紙に記載するところを見ることができました。このときの総裁選挙では、祖父が支持した大平正芳氏が選ばれたことを覚えています。

そのとき、祖父が、中曽根氏について、こんなことを言ったことを覚えています。

「中曽根氏が首相になったら、また、戦争になるから」

そのとき、その理由を聞かなかったのですが、たぶん、海軍の主計士官だった経歴を言っていたのかもしれません。

確かに、その後、首相になったとき、防衛費の増大を図って、そのころ「GNP1%枠」という、意味不明な予算枠を撤廃したのが、中曽根氏だったと覚えています。
だからって、すぐに戦争になるわけではなかったのですけれども。

そのような経歴、考え方を持つ中曽根氏が、「対華21か条要求」までさかのぼって、中国に対して侵略を行った、と明確に述べたことには、感慨深いものがあります。

平和を愛する自民党員だった祖父も、驚いているかもしれません。
それに、97歳になっても、まだまだ政治的役割を果たすことができるその超人的な気力と体力にも。
お達者で、長生きしてください。


読売新聞から

対アジア「侵略だった」…中曽根元首相が寄稿

 戦後70年にあたり、中曽根康弘元首相(97)は読売新聞に寄稿した。

 アジアとの戦争は「侵略戦争だった」と認め、先の大戦を「やるべからざる戦争であり、誤った戦争」と総括した。こうした否定的な歴史を直視しなければ、近隣諸国から信頼を得ることはできないと指摘した。
 戦時中は海軍に所属し、1982~87年に首相を務めた中曽根氏は、戦後政治とともに歩んできた宰相経験者として、寄稿の中でこの70年間を振り返った。
 先の大戦を「帝国主義的な資源や国家、民族の在り方をめぐる戦い」と評する一方、アジア諸国の国民に対しては「侵略戦争でもあった」と言及した。特に対中国では、大隈内閣が日本の権益拡大を求めた1915年の「対華21か条要求」以降、侵略的要素が強くなったとし、「中国民族の感情を著しく傷つけたと言わざるを得ない」と記した。

(引用終わり)

NHKのニュースサイトから

中曽根元首相 安保法案で明確・丁寧な説明を

中曽根元総理大臣は、月刊誌の論文で、安全保障関連法案の国会審議について、「国民が抱く不安や疑念を払拭するよう、細心の注意を払いながら進めるべきだ」と指摘し、政府は明確で丁寧な説明を行う必要があるという考えを示しています。

中曽根元総理大臣は、7日発売される「文藝春秋」に寄せた論文で、集団的自衛権について、「当然、認められるべきものだ」としたうえで、「正当防衛であるからには、自国を守るための最小のものでなければならず、限定的行使とすべきだ」としています。
そのうえで、中曽根氏は、安全保障関連法案の国会審議について、「国民が抱く不安や疑念を払拭するよう、国民意識や世論の動向にも細心の注意を払いながら事を進めるべきだ」と指摘し、政府は明確で丁寧な説明を行う必要があるという考えを示しています。
また、中曽根氏は、先の大戦について、「やるべからざる誤った戦争で、アジアの国々に対しては侵略戦争だったと言われてもしかたがない」としたうえで、「歴史の否定的な部分から目をそらすことなく、教訓を心に刻み、国民、国家を正しい方向に導くことこそが、現代政治家の大きな責務だ」としています。