作家の阿川弘之さんが、亡くなったニュースには驚きました。

阿川氏が著した「山本五十六」「米内光政」「井上成美」の海軍提督三部作のうち、「山本五十六」と「米内光政」はすでに読みまして、今、「井上成美」を読んでいるところだったからです。

戦後70年の時間の重み、改めて感じます。
ご冥福をお祈りいたします。


NHKのニュースサイトから

作家の阿川弘之さん 死去

太平洋戦争を舞台に人々の苦悩や悲哀を描いた作家で、文化勲章受章者の阿川弘之さんが3日夜、東京都内の病院で亡くなりました。94歳でした。

阿川さんは大正9年に広島市で生まれ、東京帝国大学文学部を卒業したあと、予備学生として海軍に入り中国戦線に赴きました。
戦後は作家の志賀直哉に師事し、昭和27年に海軍の予備学生を主人公にした小説「春の城」を発表して読売文学賞を受賞しました。続いて昭和28年には広島の原爆を取り上げた「魔の遺産」を、また、昭和31年には死を目前にした若い特攻隊員の姿を描いた「雲の墓標」を相次いで発表しました。昭和41年に発表した「山本五十六」では新潮社文学賞を受賞しています。
阿川さんはみずからの海軍での体験や豊富な資料を基に、激動の昭和を生きた人々の苦悩や悲哀を浮き彫りにする作品を書き続けました。戦艦「長門」が戦後、アメリカの核実験で太平洋に沈められるまでの姿を克明に描いた「軍艦長門の生涯」など、綿密な取材に基づく格調高い文体の作品が評価され、平成11年には文化勲章を受章しています。
阿川さんは平成17年から戦艦大和の巨大な模型を展示する広島県呉市の海事歴史科学館「大和ミュージアム」の名誉館長に就任していました。
エッセイストの阿川佐和子さんは長女です。
阿川さんは3日の午後10時半すぎ老衰のため東京都内の病院で亡くなりました。

阿川弘之さんが名誉館長を務めていた広島県呉市の「大和ミュージアム」の戸高一成館長はNHKの取材に対して、「阿川さんは、文学者として海軍の姿を次の世代に伝えようと努力されてきた方で、私自身、大変面倒を見ていただきました。名誉館長を務めていただいたことはミュージアムとしても大きな誇りで、まだまだいろんなお話を伺いたかったので本当に残念です」と話していました。

一直線でさわやかですっきりとした日本人
亡くなった阿川弘之さんについて、交友のあった作家の半藤一利さんは、「最後に会ったのは10年ほど前の対談の席でしたが、『長いつきあいだったが半藤くんとはこれでさよならだ』と話していたのが印象に残っています。阿川さんは一直線で、さわやかで、こんなすっきりとした日本人はいなかったと思います。最近の日本の状況を見て彼がどう感じていたのか聞いてみたかったのですが、たぶん、つらい思いで見ていたのではないかと思います」と話していました。

信念を貫いた気骨のある作家
亡くなった阿川弘之さんについて作家の阿刀田高さんは、「自身の経験から特に海軍に対する愛着が非常に強く、当時の事実を忠実に描き出そうとした人でした。信念を貫いた気骨のある作家だと思います。ジャンルが違う私の作品についてもおもしろいと言って可愛がっていただきました。20年ほど前にマージャンや酒の席で時々ご一緒しましたが、わざと怖い顔を作ったあとでにこりと笑ってジョークを飛ばすなど、その人柄を敬愛していました」と話していました。