本日の党首討論で、共産党の志位和夫委員長の「ポツダム宣言に明確に書かれている、日本は侵略戦争をした、という事項を受け入れるのか」という質問に対して、安倍首相は、ポツダム宣言をきちんと読んだことがないので、つまびらかに知らないので、と逃げて答えました。

私は、唖然としました。

日本政府の総理大臣として、日本国憲法を遵守する、ということ以前に、その前提となる、あのポツダム宣言をきちんと読んだことがない、と答えたのです。
それも、国会の場で。

私たちは、ポツダム宣言をきちんと読んだことがないような政治家を首相にしていることになります。
つまびらかに知らない、と、明確に口にしたのです。国会で。

あの戦争の指導者たち、つまり、開戦に踏み切った指導者と、また、早期の終戦に持ち込むことができなかった指導者たち、に、大きな責任がある、と、私は思っていますが、それは、あのポツダム宣言を受け入れなければ、あの悲惨な戦争を終わらせることができないぐらいに、日本やその国民を追い込んだからでもあります。国策を誤った、という表現以外に、表現の方法があるでしょうか。

あの戦争を終わらせるために、昭和天皇に、マイクの前に立たせて、ポツダム宣言を受け入れる、と、全国民にラジオ放送をしました。
それに先んじる、昭和20年8月10日の未明、皇居内で開かれた御前会議で、結論が得られないために、昭和天皇の聖断をもって、ポツダム宣言を受諾することが決定されていたのです。
当時、絶対的に神格化されており、写真ですらまもとに直視してはいけないとされていた天皇自らが、「戦争を終わらせるためなら、マイクの前にも立ってもよい。」と、述べたのです。1967年に公開された岡本喜八監督の映画「日本のいちばん長い日」でのそのシーンでは、私は涙を流さずには見ていられません。そのときの昭和天皇のお気持ちを思うと。

そのポツダム宣言を。

きちんと読んでいないとは。

そのように、国会の場で、平然と述べるとは。

あの戦争で斃れた、私たちの先人たちの霊にも申し訳が立たない、昭和天皇にも申し訳ない、と、私は思います。
A級戦犯たちも唖然としているかもしれません。

安倍首相は、「戦後レジームからの脱却」と、よく口にしていますが、その戦後レジームを形作る基礎となったものが、あのポツダム宣言ではありませんか。
それをきちんと読んでいないなんて、いったい、どういう了見なのでしょうか。

こんな首相のもとで、平和憲法の解釈に関連する安全保障に関する法整備の議論ができるわけがありません。
ましてや、憲法改正の論議など、もってのほか、です。

安倍首相は、戦後70年談話を出すなら、「侵略と謝罪」の言葉を明確に述べなければならない、と、私は確信します。

そして、実は、1年近く、党首討論が開かれていませんでした。
もっともっと、頻回に党首討論を開催してもらいたい、と、私は思います。

たぶん、今日の党首討論をみて、自民党サイドは、次回の党首討論はまた1年後ぐらいに、と、考えることでしょうけれども。
お手本とした英国の党首討論とは比較にならない、次元の低い内容に終始しました。
その主たる原因は、討論の一方の側に、必要な知識が乏しいことと、まともに議論をしようとしないで、逃げる姿勢ばかりがめだったから、です。