フランスの新聞社をテロリストが襲撃した事件、身の毛もよだつ行為だと思います。
被害者の方々のご冥福や、早い快癒をお祈りしています。

実行犯がきちんと法の裁きを受けるとともに、それを支援したり命令したりしたような組織があるのだとすれば、それらもきちんと裁かれるべきだと思います。

どんな不快な言動が行なわれたとしても、それに対して、直接的な暴力行為で対抗することは許されません。
ある程度の範囲を超えたらいけない、などと基準を設けるようなことでもいけません。
言論の自由は、条件なしに、明確に守られなければなりません。

それは、お互いが、この狭い地球の中で、安全に暮らしていくための知恵でもあります。

私は、この新聞社が行なっていた、イスラム教徒を侮辱するとする記事を読んだことも、見たこともありませんので、正確に判断をすることができないのですが、仮に、ほとんどのイスラム教徒が不快に感じるような内容の記事を出版していたのだとすれば、それはそれで、偏狭な考えのもとの行動だと思います。
そのような言動は、この世の中がよくなるような、建設的なものではない、と思います。
すべきではないし、私は、支持できません。
他の人々が信じている信仰の対象物を、理由なしに揶揄すること、好ましいこととは思えないからです。

でも、だからといって、また、それが、ある一定の限度を超えたのだとしても、今回のような暴力行為が許されるものではありません。

今回のテロと、ヘイトスピーチは、同根のものと私は思っています。
ヘイトスピーチを「言論の自由」という錦の御旗の下に入れることは許されない、と、私は思っています。そこのところの線引きは微妙なものがあります。
ヘイトスピーチを禁止すべきと私は思っているけれども、でも、ヘイトスピーチをしている人たちを、正式な裁判などを行なわずに、一方的に罰すること、ましてや暴力的に対抗すること、には反対です。きちんと取り締まる法律を整備して、規制すべきと考えています。