何を言っているんだ、当然のことだろう、って、笑われそうな気もしますが、やはり、この国のマスコミも、何らかの意思をもった大きな力のもと、情報統制を受けているように感じます。

北朝鮮やイランからのニュースをみていると、それらの国々は、国民に自由に情報を得る権利を認めていないことが実感されます。それらの国々の国民には、政治的な自由が保証されていないように感じます。それぞれの国においても、選挙は実施されるようですが、自由な意志に基づいての投票ではないか、あるいは、結果を人為的に操作する仕組みがあるように思うのです。

では、自由に投票することができ、開票作業にも違法な手続きがない国において、権力側がその結果を望ましい形に誘導するために行うことには、どのような方法があるでしょうか。

政治的な自由を保証するために重要なことは、国民が自由に情報を得ること、権力側が情報開示をどこまでするか、ということ、このことが保証されている必要があると思います。

その観点から、現代日本の状況をみてみましょう。

テレビには、広告代理店の強い力が働いています。これは、昔からそうでした。視聴率に民放は制御されています。その広告代理店が、時の政府権力と密になったら、どうなるのでしょう。民放テレビはもう、国民のものではないかと思います。当然ですね。無料で情報が流されてくるような媒体に、大きな期待をしてはいけません。
しかし、受信料で運営されて、民放よりは独立していると思われるNHKですが、最近のNHKの報道には、広告代理店の影を感じます。

では、新聞はどうでしょう?ここはまだましか?
いや、これは、淡い期待に過ぎないようです。確かに、民放テレビよりはずっと独立していると思います。
しかし、大手新聞にも、一面広告などの形で、かなりの広告代理店の活動の影を感じます。おそらく、広告代理店を無視しては新聞社の経営は成り立たないことなのでしょう。また、大手新聞社が、それぞれ、系列の民放テレビ局を持っていることも周知の事実です。

では、インターネットはどうか?
ここは、さらに、統制は緩いのですが、だから、こんなことをブログに書くこともできますが、しかし、検索サイトと呼ばれる大手のサイトを利用しないと、インターネットの膨大な情報から必要な情報を取り出すことが困難な状態になっていることに不安を感じます。大手検索サイトと広告代理店との関係はどうなっているのでしょうか?

携帯のネットワークなんて、笑止千万だしね。情報提供料だけは異様に高価だが、得られる情報の質にはあまり期待できないし。

広告代理店が、時の権力と、適度な距離をとってくれているのなら、こんな心配も少なくてすむのかもしれません。しかし、「郵政選挙」などは、実は、「広告代理店選挙」だったのではないか、と思っています。

我々日本人も、自らの国の形をしっかりと認識しておく必要があるな、と、「臓器移植法の改正案」の報道をみながら、実感しました。
権力側が、国民を統制したいという欲望を持つのは、古来からの必然ですよね。そのことをしっかりと認識して、政治的な行動をしていかねばなりません。適切な民主主義の実践をめざしていかねばなりません。

いつの世も、不適切な政治の結果責任を負わされるのは、一人一人の国民という小さな存在だからです。