日本国憲法前文

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」

われわれは、正当に選挙された国会議員を代表者として、その意思を明らかにし、行動するということですよね。

ということであるなら、国会議員の数を減らす事を、国民が諸手をあげて賛成、って、ちょっと、違和感を持っています。だって、一人一人の国民の声って、すごく小さいから、だから、代表者を選ぶのですよね。

もともと、大きな声を持っている勢力の意向にそって、それで、一人一人の国民の小さな声が抑制されるように働いているのであれば、これは、危険な方向ではないかな。

国会議員の数を減らす事が、憲法にも定められた、国民の権利を制限することになるのであれば、それは慎重にするべき。それが、結果として、そうなるのだとしても、許容することは難しいのではないかと思います。ましてや、それが、もし、目的であったなら、言語道断。

もし、選挙が正当性に欠ける(選挙区別定数の格差とか)あるいは、選挙で選ばれた個々の国会議員の行動が国民の負託に応えるものでない、あるいは、国会議員が使っている国費が有効に使われていない、ということが、国会議員の数を減らすという理由であるなら、その最善の解決策は、国会議員の定数削減ではないと思います。少なくとも、唯一の解決策ではない。

なお、英語の「constitution」の日本語訳は「憲法」となっていますが、いささか、ニュアンスが違うように思います。

先日、小学校6年の娘が、聖徳太子の「十七条の憲法」を社会で勉強していました。
聖徳太子が定めたという、この法規の成立の由来は、人民が統治機構との闘争の中で生み出されて来た、西洋のconstitutionとは全く異なるものです。それを「憲法」として呼ぶのであれば、やはり西洋の「constitution」の日本語訳は「憲法」ではしっくりきません。

もちろん、日本国憲法は、西洋の「constitution」だと思います。進駐軍のGHQが、時の日本政府に押し付けたものだ、日本国民からの議論の積み上げで作られたものではない、という歴史学者の説もありますけれども。

Wikipediaでは、
A constitution is a set of laws that a set of people have made and agreed upon for government

って定義。
人民と、その統治機構である政府との、契約事項、って意味ですよね。お上から、国民に課せられる法令ではなくて、国民と政府が対等の立場で結ぶ約束。

聖徳太子は、人民と契約するために、十七条の憲法を制定したのではありません。
まあ、内容は、役人が勝手に課税するな、とか、専断しないで議論してから、とか、統治機構の権限を抑制する内容であることから、内容的には、「憲法」でもいいのかもしれませんけれども。
いわば、「欽定憲法」ってのに近いのかもしれません。

国会議員の数を減らす事には、もっと、慎重であるべきだと思います。